【命のビザ】リトアニア・カウナスで杉原千畝博物館で多くのユダヤ人を救った人の偉大な功績を見る。

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リトアニア

ハロー、世界一周しているほしけんです。

ポーランドのワルシャワ半日観光を終えて、次はリトアニアのカウナスに来ました。カウナスには行きたかった場所があってそれに行ってから、そのままお隣の国のリガに行きます。

カウナスで多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝博物館に行く。

ワルシャワからカウナスへの夜行バス。

これからワルシャワを出発し、カウナスへ夜行バスで向かいます。

出発は夜の10時頃、ecolineという会社を利用します。料金は(2500円)で予約はecolineのサイトから行うといいです。

バスはクラコフからワルシャワに来た時と同じバスターミナルから出発します。

翌日の朝6時にカウナスのバスターミナルに到着しました。まだ暗いですし、お店や博物館もやっていないのでバスターミナル内で仮眠します。

「命のビザ」杉原千畝博物館(旧日本大使館)にいく。

まだ目的の博物館まで時間があるので、まずは街を歩きます。ここが大通り、学生がいました。

奥に進むと、小さいお城のようなものがあります。現在はそういうお城ではなさそうですが。

といろいろ歩き回り、杉原千畝博物館に到着。

杉原千畝さんというひとはどういう人なのかというと、第2次世界大戦時、ナチスはユダヤ人迫害をします。これはポーランドのアウシュビッツでみました。

そのとき、リトアニアの大使館で働いていた杉原千畝さんは、迫害の恐れがあるユダヤ人に対して日本に滞在できるビザを発行し、多くの命を救ったという歴史があります。

博物館にある文章によれば2139のトランジットビザを発行。このビザは家族であれば有効なので、6000人のユダヤ人を救ったということです。

過去にこういったことを判断できる日本人がいたのか、と考えるととても胸が熱くなり、これはいつか行きたいなと思っていた場所なのです。

この建物は旧日本大使館であり、実際にビザを発行していた場所です。それが博物館になっています。料金は5€(800円)で日本円も使えたはず。割高でしたけど。

博物館では最初に命を救われた人たちの動画があります。

詳細を覚えていないのであいまいかもしれませんが、どうして命のビザを発行することになったのかということを紹介しておきます。

アウシュビッツでもありましたが、実はユダヤ人の迫害が多かったのはポーランドやリトアニアです。

この理由としてユダヤ教とキリスト教の関係がかかわります。というのも、イエスキリストはユダヤ人に処刑された関係から、敵のような考えがあります。シェークスピアのシャイロックと高利貸しという本を読むとわかるでしょう。

これが今なお続くのは歴史の不思議な点ですが。

ヨーロッパの国は基本的にキリスト教の国です。そのため、ユダヤ人が住むには厳しい。

しかし、ポーランドなどの国は比較的厳しくなかった。だから多くのユダヤ人が住んでいたわけです。

で、ナチスによるユダヤ人迫害が始まるわけですが、それがリトアニアにも及びます。

そこに住むユダヤ人はリトアニアを脱出したいのですが、ビザが発行されません。ビザがないと出国できない(入国を断られるからですが、現在もそうです)ため、ビザが必要なのです。

リトアニアは南にナチス、北・東にロシア、西は海です。なので、逃げるルートは海に行くか、ロシアを通るルートになります。

で、ロシアを陸路で移動し、日本に行き、そこから船へというルートがありました。どうやら、ほかのルートもありましたが、徐々に封鎖されて、日本経由のルートしか残らなくなったようです。

6時少し前。表通りに面した領事公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。で、私は急ぎカーテンの端の隙間から外をうかがうに、なんと、これはヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろの人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄り掛かって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った

杉原千畝 – Wikipedia

翌朝起きると、大使館の前には多くのユダヤ人が。ビザを発行してくれと。

杉原千畝さんは、日本にビザを発行していいか?と聞きますが、そんな多くのひとを受け入れられないし、旅行費を持っている人などの条件を満たさない人はダメと断ります。上の画像は日本国にお願いしている内容だった気がします。

が、杉原千畝さんはそんなことよりも命のほうが大切だろう!と無許可でビザを発行していくのです。

「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった」

杉原千畝 – Wikipedia

のちに、ロシアがリトアニアを併合するため(すでにロシアにより占領されている)、ロシアから日本大使館を撤退するように言われます。

で、杉原千畝さんは脱出するための電車が出発するギリギリまでビザを発行し続けたのでした。上の画像はビザが左で、右に福井県の入国許可。

これにより、人のユダヤ人の命が救われたということです。

ここが実際の部屋に使われていた部屋。

参考:杉原千畝 – Wikipedia

ビザに使われたスタンプ。記念スタンプとして押すことができます。

メトロポリス・ホテルでもビザ発給

杉原千畝さんは大使館を撤収したあと、脱出の電車までの間、メトロポリス・ホテルに宿泊し、ここでもビザの発行を行っています。そのホテルが実際にまだあり、壁には功績が書かれています。

カウナスを後にし、ラトビアのリガへ

カウナスの観光を終えて、次はラトビアのリガに向かいます。

出発はワルシャワから来た時と同じバスターミナルです。料金は12ユーロ(1900円)

途中でラトビアとの国境を示す看板がありました。同じユーロ圏なんでそのままスルーになりますが。

夜の7時にリガのバスターミナルに到着しました。

まとめ

ということで、自分が行きたかった杉原千畝博物館に行けて満足。ぜひ行く機会があれば行ってみてください。

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