【2泊3日】イキトスからサンタローサ(レティシア)へのスローボート生活【ハンモック生活】

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ペルー

オラ、世界一周しているほしけんです。

イキトスのアマゾンツアーが正直微妙であったし、早く日本に帰りたい!なーんて思いがふつふつとあるので、次の町であるサンタローサ。しいてはコロンビアのレティシアに移動していきます。

イキトスからサンタローサはアマゾン川でつながっているので、ボート移動になります。

ということで、2泊3日のスローボート移動をしました。

【2泊3日】イキトスからサンタローサ(レティシア)へのスローボート生活【ハンモック】

イキトスからサンタローサへはアマゾン川をボートで渡っていくルートです。

ボートの種類としては高速船(9時間くらい)とスローボート(2泊3日)があります。

高速船の料金は知りません。旅行会社がちょくちょく街にあるので聞いてみては?

スローボートの場合、時間はかかりますが、料金は80ソル(3200円)で済みますし、ハンモックでアマゾン川をのんびり移動なんていいじゃないですか!(早く帰りたいけど)

ってことで、スローボートを選択。

スローボートの事前調査

イキトスのホテルでねこにひっかかれた日、すぐ病院に行って問題ないと言われたので暇になりました。

なので、このスローボートの情報を手に入れるため、散歩してたんですね。

ホテルの人からここで、19時に出発するからということを聞いていました。

ふむふむここか、ホテルからも20分くらいの距離だな!、アマゾンツアー後に利用しようと決めていました。

ただ実際に当日行くと、ここじゃない!って言われました。。。

スローボートの必需品?ハンモックを購入。

ねこさんにひっかかれた日にボートの調査と合わせてスローボートの必需品?であるハンモックを購入しておきました。

ハンモックが購入できる場所はフェリーターミナル、フェリー内(売り子)、市場という感じ。

個人的にはフェリーターミナルとフェリー内は、高く言われそうだなと思って、市場で購入することにしました。

高いかなーと思った理由は、売り場が少ないこと、フェリー乗る人間があつまるということで、売り手側に圧倒的に力があるからです。

市場で30ソルというところ、25ソル(1000円)で購入。30ソルはターミナルでの価格でした。

あと、ハンモックをぶら下げるための紐を5ソル(200円)で購入。大体10ソルとか吹っ掛けてきます。

ちなみに、船に乗ってわかりましたが、ハンモックではなく普通に横になって寝ている人もいました。なお、私のハンモックの横にですが。。。

ここは違う!惑わされる。。。

19時出発ということは聞いていたので、ホテルチェックアウトまでのんびり過ごしていました。

が、フェリーまで時間あるからカバン預かっておいてーというと、いや、今すぐいけ!というんですね。

なにごとか!と思ったんですが、現地の人なので指示に従います。結果としては預かってもらっててもよかったかな。

で、事前に調べておいたフェリーターミナルに行くと、サンタローサ行きはここじゃない!こっち行ってこうだ!と言われます。

えー、どこだよー、って重い荷物を運びながら移動します。そして今日に限って蒸し暑い。。。

フェリーがある場所を見かけるたび、サンタローサ?と聞き、やっと見つけました。あ

船も複数あって、どれかわからんし、チケットも売ってるのかな?(出発後船内で購入)といろんなひとに、サンタローサ?と聞きまわり、この船(一番左)と確定します。

サンタローサ以外に、フロンテラ(国境)と聞くのも手段です。

常に場所が変わるかもしれませんので、念頭に入れておきましょう。

スローボート船内の話

ホテルの人が早く行け!といったんですが、普通にがら空き。。。

どうやら場所確保のため、”早く”いけってことだったようです。

正直どこの場所がいいのかなんてわからんので、テキトーに真ん中にハンモックを設置。

どうやらフェリーは4階建てで、2と3階が居住区。3階は窓がないタイプなので、風が入りやすそうですが、夜は冷えそうですね。

個人的にいい場所とは、と考えると、日中風が通る3階(夜は冷えるので注意)で、船の船首側(エンジンと逆)がいいと思いました。

エンジン側は当然ながら常にうるさいです。また、2階の売店は音楽をそれ以上の音量で流そうとするのでよりうるさい。3階であれば、エンジン(1階)から遠いですし、売店からも遠く静かでしょう。

ほかの船にスターリンクのwifiがあったので、しれっと利用。船内には有料のwifiがあったっぽい。

船内にはトイレ(便座はないので空気椅子、トイレットペーパー必須)、売店があります。

また、コンセントもありますが、数的に奪い合いになります。とはいえ、2日目にはほとんど人がいなくなり、がら空きでしたが。

出発時刻まで暇(6時間余り)あるので、お昼ごはんとスーパーへ買い出し(なお、スーパーでなにも買わず。。。)

1日目:なんで自分のハンモックに当たる場所にいるんだ?

ということで、17時くらいにフェリーに戻ってきたら、人が増えています。

が、ほぼ最初に設置しておいた自分のハンモックに当たるように、ハンモック設置しているやろうが出てきました。

どうしてですか?もっと空いている場所があるでしょうに。まして、当たるように設置しなくてもいいではないか!と思います。

あと、ターミナル近くでおにぎり2つ分くらいのサイズのご飯を購入3ソル(120円)

あなたどこから来たの?日本ですよー、これから国境へというと、あらまぁという感じでした。

ええ、私も思いますよ、なにやってんの?って。世界一周ってなんですか?なにか変わるんですか?

日本という国を出て、何が得られたんですか?という。。。

19時に無事、出発。その前に、フェリーの人から目的地、名前、パスポートの情報を伝えます。

暇だったので(スターリンクさんがいなくなった)、ダウンロード済みの映画を見てましたが、なにやら後ろから気配が。。。

どうやら同じく暇を持て余した子供たちが、一緒に映画を見ているようです。いや勝手に見るのは構わんが、横で普通に当たってくるのだけはやめてくれ、と内心思っていますが、まぁ無視しておきます。

のちに、チケットの購入(80ソル:3200円)をして、就寝。

と思いきや、接触するハンモックだけでなく、床で寝るやろうたちが。しかも、場所がほかに開いてるのに、自分のハンモックの下に!

なんでだよー。。。

2日目:アマゾン川の夕日とチェゲバラのあしあと

日中は蒸し暑いアマゾン。意外と夜は冷えます。ただハンモックの幅が広いので、体にかけて対策。

意外とハンモックで寝れましたが、寝ていたところおっさんがパンと甘ーいなにか(おそらく甘いオートミール)を渡してきて目覚めます。朝7時。

暇なのでこうしてブログを書いておりますが、ちょいちょい停泊して荷物を降ろしていますね。夜はやっていたのでしょうか。

たまーに、売り子が乗り込んできます。

途中結構ながーくいる町があったので、お散歩してみた。勝手に出発されないように気は張っていたけど。

エンパナーダ。中にはチーズが入ってた1つ1ソル(40円)、スイカ一切れ1ソル。

今考えれば、クスコのスーパーで買った半玉が4kgもあるスイカが4ソルというのは激安だったんだなー。こういうジャングルなら農作物がたくさんできて、安く手に入るイメージだったのに。

バナナはたっくさん乗っていました。日本では見ないくらいの巨大の。

ふと思いましたが、こうやって世の中の物流が成り立っているんだなと。自分たちが当たり前に食べているもの、飲んでいるものもこうやってどこかから運ばれているわけです。

例えば、バナナだってフィリピン産であればフィリピンから船で運ばれているのでしょう。今回の距離と比べたらとんでもない日数がかかるでしょう。船の速度にもよりますけども。。。

って買ってきたエンパナーダを食べてたら、お昼ごはんがもらえた。うん、エンパナーダ買った意味。。。

途中の荷卸しの中でこんな町が。

サン・パブロ・デ・ロレートは、1926年にアマゾン川南岸(右岸)に開拓された[1]イキトスから208.4マイル (335.4 km)離れたこの地に、ハンセン病患者が集められた[1][2]ハンセン病療養所に加え、1943年には牧師が礼拝堂に派遣され[2]、1948年には修道女によって学校が設立されている[1]

チェ・ゲバラアルベルト・グラナードが1952年に療養所を訪れ、チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記英語版)に記録が残されている。2004年の映画モーターサイクル・ダイアリーズでは、この記述を元にして取り上げられた。

サン・パブロ (ロレート県) – Wikipedia

サンパブロの町は、チェゲバラが実際に訪れた町のようです。

ブログでは紹介していませんが、実はアルゼンチンのブエノスアイレスにはチェゲバラの学校(ブエノスアイレス大学)があるんですよね。彼は医学生でした。

詳しいことはわかりませんが、サンパブロの町などを見た経験をもとに、彼は革命家になるきっかけとなったのではないでしょうか。

この町は一番大きい街と思われます。かなりの時間を荷物の積み下ろしをしていましたから。

その間、売り子が侵入してきたので、子供たちが食べていたアイスを1ソルで購入。ここの物売りは大体1ソルなんですな。

アイスは街中で見かけた爬虫類のうろこのような奴だけど、中は黄色のやつをすりつぶして、凍らせたものでしょう。なにかの味に似てるんですが、忘れました。

暇なので操縦室に侵入。結構シンプルな作りです。

到着前は明るかったのに、もう夕暮れ。きれいです。そして、みなさんえっさほいさ、と荷物を運んでいます。子供もです。

一番多かったのがセメントの袋。みなTシャツを頭にかぶって運んでいました。おそらく、粉がかかっても平気なようにでしょう。

そんななか、自分はご飯をもらって食べていました。それにして、なんで胸肉ばかり引くんだろう。照り焼きのようなカレー風味のような味でしたが、おいしい。

エジプトのコシャリを食べたとき、平たい豆が砂っぽくて嫌だったんですけど、これはおいしかったな。さすが、ペルーさん。

どうやら翌朝、到着しそうですね。夜寝ていると途中で起こされ、ペルーの警察か何かにパスポートスタンプを見せろ!と言われました。

3日目:ついにサンタローサに到着。

翌朝、6時ごろに目が覚め、スマホを見てみるともうサンタローサまであとちょっとという感じ。ここが終点なのかわからないので、もう一回寝たいところですが、撤収しながら到着を待ちます。

だって、この船誰も起こしに来ないんだもん。

結果として、7時にサンタローサに到着しました。このあとは、ペルーの出国手続きに行くわけですが、今回のお話はここで終わり。

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