【いまだ紛争の爪痕が】ボスニアヘルツェゴビナのモスタルと第一次世界大戦のきっかけのあの場所へ【サラエボ】

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セルビア

ハロー、世界一周しているほしけんです。

前回、クロアチアのスプリトからバスで、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルに来ました。

今回はモスタルの観光とモスタルからサラエボへの移動、そしてサラエボ観光。さらに、サラエボからセルビアのベオグラードまでの移動について紹介します。

【いまだ紛争の爪痕が】ボスニアヘルツェゴビナのモスタルと第一次世界大戦のきっかけのあの場所へ【サラエボ】

紛争の爪痕が残るモスタルを町ブラ

さてさて、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルに来ました。

まずはこの有名な橋。今見ても、とてもきれいな橋ですね。実はこれのちに書きますが、ボスニアヘルツェゴビナ独立時に紛争で破壊され、再度作られた橋です。

このような紛争の爪痕がいまだに見られるのが、モスタル(しいてはボスニアヘルツェゴビナ)になります。

この橋の上では、現地民にお金を渡すと川に飛び込んでくれます。それがこの瞬間。

夜の感じもまたいいですね。

橋の周りにはお土産屋さんやレストランが並びます。

モスタルの町を歩くと、建物に変な丸いくぼみが見つかります。

これは上でも書いた独立に伴う紛争によるもの。銃撃戦があったということです。

紛争の内容的には、ボスニアヘルツェゴビナの独立に伴う戦い。ユーゴスラビア連邦の軍との戦いだったようです。

日本ならこういったものはすぐ直しそうですけど、ここではそうではないようですね。

ボスニアでは70-80年代にブルース・リーが大人気で、発案者の1人は「異なる民族が共有するものの1つがブルース・リーなんだ」と強調した。

ボスニアにブルース・リー/民族和解の銅像設立 | 全国ニュース | 四国新聞社 (shikoku-np.co.jp)

モスタルの街中にはブルースリーさんの銅像が。なぜここに?ということなのですが、軽く調べたところ、上述の通り、ボスニアヘルツェゴビナのヒーローであることが1つ。

そして、紛争の大元は、バルカン半島には複数の民族がいる。で、それに対する独立が起こった。

引用の文章からはわかりませんが、民族が違えど、ブルースリーさんがヒーローであることはほかの民族であろうと同じ。

ま、ある意味、共通言語、共通認識のようなものでしょう。

ホテル

Hostel Dada

Hostel Dada(モスタル)– 2024年 最新料金 (booking.com)

モスタルのホテルはここ。1泊11ドル(1600円)程度。

坂の上にあるのでちょっと大変ですが、上の橋にも近いです。

オーナーが複数のネコとイヌを買っています。そして、私のベッドで寝ていますが、私の分の宿泊費を払ってくれているんでしょうか。

バルコニーにいると乗ってきますが、こやつらはどういう神経をしているんでしょうか。かわいい。

モスタルからサラエボへのバス移動

モスタルからサラエボまでは距離にして120kmで、時間は2時間くらいでつきます。

料金は11€(1800円)で電車よりも高いですが、電車の時間は朝6:30と早く起きないといけないのであきらめました。

出発バスターミナル。

到着バスターミナル。

第一次世界大戦の引き金となったサラエボ

さてさて、サラエボに着きました。あの有名な橋に向かいます。このあと夜行バスに乗るので、その間だけ観光です。

街を歩くとなんかよくわからん模様が描かれている場所があります。

調べると、上述の紛争時に砲弾が着弾した場所になるそうです。

時が経つと忘れがちですが、こういうことがあって今があるということを思いますね。

モスタルと同じく、ここにも銃撃の跡があります。

途中、日本のような雰囲気の地域を発見。ヨーロッパにしては珍しい、木造建築だからそんな感じがするのでしょうか。

それにしてもなぜ急にこんな感じなんでしょう。

見えました。あの第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件!の橋が。

1914年6月28日オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者[注釈 1]であるオーストリア大公フランツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を訪問中、ボスニア系セルビア人ボスニア語版)の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件[4]。この事件をきっかけとしてオーストリア=ハンガリー帝国セルビア王国最後通牒を突きつけ、第一次世界大戦の勃発につながった

サラエボ事件 – Wikipedia

引用の通り、この橋で暗殺されたことにより、第一次世界大戦となったのです。

そして、敗戦国であるドイツが、賠償金などのひっ迫からヒトラーを生みだし、そして、ナチス。しいては、第二次世界大戦へとつながるわけです。

歴史とは不思議なものですね、ある1つの出来事が単独であるように思えて、実はつながっている。

当たり前なんですけど、当たり前ではない。

この内容は教科書にも載っていますが、乗っていない歴史というのもあります。

自分は歴史が好きなので、おぉこういったつながりがあったとは!という面白さを知っていますが、教科書では急に何かかが起こってという内容なので、面白くないって理由がよくわかります。

サラエボからセルビアのベオグラードへの夜行バス

次の国セルビアのベオグラードへ向かいます。

安いバス?到着時間的に都合のいいバス?にしましたが、途中で乗り換えが必要でした。

到着バスターミナルはここでした。

まとめ

ボスニアヘルツェゴビナのモスタル観光、モスタルからサラエボへのバス移動、サラエボ観光、そして、サラエボからセルビアのベオグラードへの夜行バス

という内容的にはかなりキッツキツのものでした。

行ったからといってなにか変わるわけではないですが、第一次世界大戦の引き金となった橋に行けたのは個人的にはうれしかったですね。

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