ハロー、世界一周しているほしけんです。
前回、ブルガリアのソフィアから夜行バスでルーマニアのブカレストに移動してきました。
ということで、ブカレストの町ぶらしていきました。
ルーマニアのブカレストの町ブラとホテル【ブカレスト→キシナウの夜行バス】
地下鉄で中心部まで移動し、ホテルへ。
ソフィアからの夜行バスは、予定では6:30着だったのに、2時間早い4:30にはついてしまいました。。。こういうの本当に困るんですよね。
ただいい点があって、ここのバスターミナルには待機室があって、中に入れるのです。なので、そこでほかのひとも寝ていたので、自分も仮眠しました。
で、最寄りの地下鉄へ移動し、地下鉄で中心部まで移動します。
細かいことは覚えていないのですが、駅員さんが丁寧に教えてくれて、料金はいくらだよーって感じでした。
中心部までの料金は3レイ(96円)でした。
アンティークホステル
現在は泊まれるかはわかりませんが、当時1泊39レイ(1200円)でした。
清潔感もあり、wifiも良好。キッチンもあるので、自炊が可能です。荷物も預かってくれました。
ただコンセントは各ベッドに配置ではなかったですね、自分は偶然にもあったの良いんですが。
ブカレストの町をぶらり
これ銀行なんですよね。とても歴史を感じる建物で個人的に好きです。
こちらは教会。
奥に見える建物は議事堂宮殿。どうやらツアーもあり、中に入れるようです。
Memorial of Rebirthというもの。心臓に突き刺さっているものです。若干赤い部分があるのは、血が流れているという感じ。
1989年12月21日、チャウシェスクは首都・ブクレシュティ(București)にて集会を開催し、集まった労働者たちに向けて演説を行ったが、その最中に騒動が発生し、抗議者・労働者と、軍隊、治安部隊との間で紛争が始まった。
この日の正午、ニコラエとエレナの二人は、ルーマニア共産党中央委員会の建物の屋上からヘリコプターに乗って逃亡し、ブクレシュティから脱出してトゥルゴヴィシュテ(Târgoviște)に着くも、その日のうちに軍隊に捕らえられた。
ルーマニア革命 (1989年) – Wikipedia
東ヨーロッパ諸国で社会主義から民主主義への運動がおこり、反政府運動がおこります。で、それを鎮圧しますが、止まらず拡大。演説で説得しようとしますが、紛争が起こり、大統領のチャウシェスクは逃亡しますが、軍隊にとらえられ、のちに処刑。
この時に流れた血が、この心臓を貫く像なわけですね。
ブカレストのホテルに泊まったら、観光地割引クーポンがもらえたので、タダで行きました。トリックアート美術館のようなところです。
次に話しますが、モルドバに行くときのバスターミナル近くを歩いてたら、公園を発見。なんだろうと言ってみると兵士がいました。
これは何ですか?って聞くと、これは第一次世界大戦で亡くなったがドッグタグが返ってこなかった(つまり、生死が不明)の方のお墓なんだよってことを教えてくれました。
さてさて、観光ではなく、グルメについて紹介しましょう。ルーマニアのスーパーには総菜の量り売りがあります。
節約旅行にはありがたいですね。わざわざ高いお金払って現地の料理を食べるのではなく、ここで食べることができるのですから。
フムスとパスタを注文。合計10レイ(300円)くらいでしょうか。
味付き肉の量り売りもありました。2レイ(60円)/100gですから、安いです。そしておいしかった。
あと、ルーマニアはワインの産地ということで、小瓶を購入。6レイ(180円)
おいしくはないかった。。。
あと、このアイスが思った以上にメロン味でおいしかった。
ブカレストからモルドバのキシナウへ夜行バス移動
バスターミナルはちょっと離れた場所にあります。バスもあるので、利用するといいでしょう。
料金は21€(3300円)なんですが、これはどうやらエラー料金っぽかったですね。後日見たら料金が大きく変わっていたので。ラッキーというやつです。
21:30出発し、国境まで移動します。国境ではバス内でパスポートを渡し、処理後パスポートが返ってくる感じ。
本当は翌日6:30に到着予定でしたが、10:30に着きました。
まとめ
ということで、ルーマニアのブカレスト観光とモルドバへの夜行バスでした。
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